血に染まった掌を見た時、 自分が恐ろしく感じた。 小さく息を吸った。それは泣き方を忘れた私 最近雛森の顔色が悪い。 そう、あの隊葬の次の日くらいからだ。 十日前の事だ。 五番隊直属の管轄下で巨大虚が複数発生した。 運が悪いことに、その日藍染は別件で任務についていた。 さらに運が悪いことに、その日指揮を任されていたのは雛森だった。 執務室で書類整理をしていた彼女がその一方を聞いたのは、 夕方になり、業務終了時間の直前であった。 末席の下級隊員が息を切らしながら執務室に飛び込んだ直後、 彼女は愛刀を差し、すぐに数人の部下を招集してその地点に急いだ。 彼女がその地点に降り立った時。 彼女が見たのは数体の巨大虚と、 人の形を留めていない、血に塗れた部下の亡骸だった。 途端、彼女は理性の制御の仕方を忘れた。 あんなに早く抜刀できたのは初めてだった。 周りにいた部下は彼女の感じたことのない巨大な霊圧に震えた。 修羅の目だった。 瞬歩で巨大虚を切り裂いていく彼女の後姿は 副隊長である証拠で 圧巻で 何より 恐怖だった。 別件を終えて、駆けつけた藍染が見たのは 血だらけで、部下の残骸をかき集め抱き締め 涙一粒も流さずにただ震えているアイツの姿だった。 責任などの処罰が雛森に下ることはなかった。 彼女はむしろそれを望んだが、藍染が総隊長に進言したおかげで 免れた。 次の日、亡くなった者も隊葬が行われた。 雛森はまたもや涙を流さず、無言でたたずんでいた。 様子を見に来た日番谷が「大丈夫か」と問うと、 「大丈夫」と眉を八の字にして、無理に微笑んだ。 雛森は涙を流さなかった。 だから、彼女は区切りをつけて乗り越えたんだ。 そう俺は信じていた。 だが、その直後から雛森の様子がおかしくなった。 日に日に目の下の隈が濃くなっていった。 「どうしたのか」 と問えば 「先日の事件の事後処理がまだ残ってて」 そのように言った。 隊葬の時と同じ顔で。 俺は 馬鹿正直に信じていた。 隊葬から6日後 少しずつ痩せていっていた。 「食べろ」 と言えば 「今ダイエット中なの」 と言った。 隊葬の時と同じ顔で。 さすがにもう信じる事はできなかった。 そして隊葬から九日後の昨日。 雛森の腕に包帯が巻かれていた。 「怪我したのか」 と聞けば 「任務でね。油断してたのかも」 と言った。 隊葬の時と同じ顔で。 直ぐに自傷したのだと気づいた。 そして、十一日後の夜である今夜。 偶然だった。 「・・・雛森?」 松本の阿呆が提出が明日の書類を、 ソファーの下に大量に隠していたおかげで、 自室に帰るのが遅くなった。 自室への道のりを歩いていると、 雛森が飛梅を持って、 草履を履いて、出かけていくのが見えた。 時間は深夜一時。 嫌な予感がした。 雛森の最近の様子は明らかにおかしかった。 気づけば俺は歩を 雛森が向かった方向へ進めていた。 気配を消すのを忘れずに。 雛森について行くと、 アイツは演習場の中でもっとも人気が少なく、 寂しい所だと言われる第六演習場の 池の近くにいた。 何をするわけでもなく、 アイツはぼんやりと水面に映る自分の顔を見つめていた。 俺はそんなアイツに近づこうとした。 アイツは暫く自分の顔を見つめ、 いきなり愛刀を抜いた。 そして、 その切っ先を、自分に向けた。 俺は真っ青になって、 彼女に駆け寄った。 「何やってんだよ!!お前!!!」 「・・・日番谷君・・・」 アイツは驚いたように、俺を見つめて 苦笑した。 それすら、あの時の顔で。 俺はいても立ってもいられなかった。 ただ、アイツの手から飛梅を払いのけて。 その手首を掴んだ。 「・・・何してんだよ」 「・・何してるんだろうね」 「とぼけんな!!」 「・・・とぼけてなんかいないよ?」 不思議そうに首をかしげた。 まるで、糸が一本切れたマリオネットのように。 そして、また微笑むのだ。 あの顔で。 「・・大丈夫だよ」 「・・笑うな」 「どうして」 「なんで笑うんだよ」 「どうしてだろ・・」 「どうしたんだよ、雛森!!!」 俺は叫んだ。 暗闇の中で、俺の声だけが木霊する。 アイツは俯いた。 沈黙が苦しい。 そんな時 ポツリと呟いた。 「泣けないの」 アイツの顔を見た。 息も出来ないような、 苦しそうな顔だった。 「ねぇ、日番谷君」 「あたし、辛かったの」 「あたし、あの血だらけの光景を見た時、耐えられなかったの」 「副隊長なのにどうしてこんなに無力なんだろう・って」 「悲しみと怒りで、何も考えられなくなって」 「切ってたの」 「無心で、刀を振るったの」 「でもね、気づいたら」 「切り裂かれた虚の屍骸の上にあたしは立っていて」 「血を被ってた」 「部下の皆の目を見たら」 「皆、怯えてたの」 「皆あたしに怯えてたの」 雛森は右手の掌を見た。 それを力一杯握り締めた。 「怖いの」 「あたし、本当は虚と何も変わらないんじゃないか・って」 「辛いのに、悲しいはずのに」 「泣けないの」 「亡骸を抱き締めても」 「隊葬でも」 「どれだけ経っても泣けないの」 「こんなあたしは、虚と同じなんじゃないかって」 「いつか、虚と同じように誰かを傷つけるんじゃないか・って」 「怖くて怖くて怖くて・・・」 「不安で・・・」 掴んでいた手首を離して、 アイツの頭を俺の胸に押し付けて、 腕で体を拘束した。 それは俗に言う、抱き締めるという体勢で。 「雛森」 漆黒の細い髪が指に絡まった。 爪と指の間を心地良く流れていた。 「泣け」 アイツは不思議そうに俺を見た。 俺はただ無言で雛森を見つめた。 暫くアイツはその薄い外耳を 俺の左胸に押し当てていた。 拍動は一定のリズムを刻み アイツに訴えかけるように。 やがて、アイツは目を瞑った。 一粒の雫が頬を伝ったのが見えた。 「お前は虚なんかじゃねぇよ」 「泣けなかったのは、多分」 「泣く場所が無かっただけだろ」 「悪かったな。もっと早く気づけば良かった」 「・・・ううん」 ぽとり、ぽとり 雫が死覇装に染み込んだ。 「所詮、俺達にだって限界はある」 「死『神』なんて名ばかりで」 「俺達は全能でも全知でもない」 「お前は」 「泣けなくて苦しいんじゃなくて」 「苦しくて泣けなかったんだろ」 「その気持ちは虚にねぇもんだろ」 死覇装の合わせ目をアイツが掴んだ。 俺の声と嗚咽が交じり合う。 「お前は虚なんかじゃねぇ」 「俺が保障する」 「お前のその涙に嘘はねぇだろ」 そう微笑むと、雛森は俺の胸の中に顔を埋めたまま 頷いた。 俺は少し冷えた雛森の体を温めるように抱き締めた。 「雛森」 「・・はぃ・・・」 「お前の力は何のためのものだ?」 「・・・皆を守るためのもの・・・」 「・・それを忘れるな。  その力は」 「お前を傷つけるためのものじゃない」 「他人を傷つけるためのものでもねぇ」 包帯の巻かれた腕から、 包帯を外すと 少し深めに切れた刀傷が見えた。 俺はその傷に唇を寄せた。 舌で優しくなぞった。 舌先に鉄分の味がした。 彼女の呼吸を その血が 俺に分け与えてくれてる気がした。 雛森は鼻汁をすすり、嗚咽を漏らし 涙を拭きながら、 小さく息を吸った。 水面には波紋と、 赤い月が嗤っていた。 彼女を覆った緋色のようだった。