桜舞う季節、 それは別れの匂いがする。 さくらフレーバー 俺はぼんやりと屋上から見下ろしていた。 三年間暴れまくった校舎はボロボロで、 でもなんだか愛おしく感じた。 センチメンタルなんて感じないと思ってたのに。 共学になった夜兎工業高校に初めて入った女子が俺だった。 今までずっと男子校で、 共学になったがその荒れっぷり故に誰も入ってこなかった。 父親がこの学校の教師であることも理由の一つであったが、 大きな理由の一つは、強いヤツがいるかもしれないということだった。 女の身体で男とたくさん喧嘩をした。 たった一人、俺だけセーラー服で、スカートの下にジャージをはいていた。 くだらない男は全部殴り倒した。 気づいたら学校で恐れられるような存在になってた。 男ばかりの世界で 一人女は、なんだか寂しいことがあった。 街に出れば、可愛らしい女の子たちが 化粧やら、アイドルやら、キラキラしたものに きゃっきゃ声をあげている。 俺はそんなんじゃないから。 そんなの嫌いだから。 そうやって見ないふりをしてた。 彼氏が欲しいと思ったこともあったけれど、 この学校にいる男なんてろくなやつがいないから ずっと諦めてた。 だけど、一人だけ。 たった一人だけ。 俺のことを女扱いした強い男がいた。 俺はその人だけには勝てなかった。 世界史の阿伏兎という先生だった。 強かった。 校内で喧嘩があれば、 だいたいそれを止めるのは彼か俺の父親だった。 俺も何度も喧嘩を止められた。 ブチギレて殴りかかったこともあった。 阿伏兎先生は、相手の男子生徒には必ずグーで殴るが、 俺には頬に平手だった。 でも、その平手は、グーで殴られるよりもずっとずっと 痛かった。 気づいたら、阿伏兎先生のよくいる世界史準備室に いり浸ってた。 先生の部屋は煙草の匂いがいつもしてた。 あと、コーヒーの匂い。 3階の一番端の部屋。 ソファーでの日向ぼっこ。 全部全部居心地がよかった。 「今日で、終わりかぁ」 でもそれも全部終わり。 さっき、卒業証書を受け取ってしまった。 これから俺はフリーター生活である。 悲しいことに、これだけ喧嘩っぱやくても 俺は女なんだ。 これから社会に出たら、オシャレやら化粧やら 今まで見て来なかったものをしなきゃいけなくなる。 だから、だから、だから。 最後に言いたくて。 妹の神楽に頼んだ。 「ねぇ、化粧して、くれないか」 神楽は驚いたように、俺を見たが、 「紅白饅頭で手をうってやるヨ」 そう言ってポーチを取りだした。 鏡の中にいる自分は知らない女だった。 いつも汚れているセーラー服は 今日はぴかぴかにしてやった。 いつも履いてるジャージも今日は履いてない。 なんだかスースーする。 髪もいつもは一つの三つ編みにしてるが 今日は念入りにドライヤーをかけて、 下してきた。 今朝、教室に入る。 卒業で浮足だってた男子生徒が全員俺を見た。 「・・・・なんだよ」 俺はいつも通りギラリと睨んだ。 男共はよくわからないが、顔が赤かった。 式は無事終わった。 俺は、今屋上でぼんやりしてる。 本当は、本当は、先生の部屋に行きたいけど。 でも、足がすくんでここから動けない。 言わなくちゃ、言いたいんだ、言わなくちゃ。 「生徒はさっさと帰れよ」 その声に振り向くと、屋上の入り口に阿伏兎先生がいた。 「阿伏兎」 「先生つけろっていつも言ってるだろ」 俺の隣に立った阿伏兎は、少し笑いながらそう言った。 「卒業おめっとさん」 「・・・どうも」 「これで厄介な生徒がまた一人消えるな、よかったよかった」 俺の頭をぐりぐりと撫でて、阿伏兎は言った。 俺は零れそうな涙をこらえてた。 「・・阿伏兎・・・せんせ」 「なんだ」 「・・・世話になったね。ありがと」 「お前から感謝の言葉が聞けるとは思ってなかったな」 俺は笑った。 ちゃんと、ちゃんと、笑えてるはず。 今なら言えるはず。 今まで偽ってきた気持ちも、全部。 「俺ね、先生からも、ちゃんと卒業するよ」 先生は何も言わずに俺を見てた。 「先生のこと、好きだった。  ありがとう、先生。  幸せになって、ね」 じゃっ!と手を上げて 俺は先生の隣をすり抜けようとした。 「あ」 でも卒業証書の入った筒を落としてしまった。 先生はそれを拾った。 「・・・・なぁ」 「・・なんだよ」 「今の話、本当か?」 「・・・・っ」 「俺が、嘘で、こんなこと、言えるわけないだろ!」 気づいたら真っ赤になって、目に涙を浮かべてた。 恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい。 「そうか」 先生は今まで見たことないような、 少し照れた笑みを浮かべた。 俺はドキリとした。 だめだだめだ。 こんな感情忘れなきゃ。 「じゃあ・・お前に卒業証書やるよ」 先生はポンッと俺の卒業証書の入った筒に 何か折りたたんだ紙を突っ込んで渡した。 俺はそれを受け取って筒を開けた。 小さく折りたたんだメモの中には、 十一桁の数字の羅列と、 知らないアパートの一室の住所が書いてあった。 俺は呆然とした。 鼻がツンとしてきた。 「先生と生徒は、そろそろ、卒業でいいだろ」 「生徒じゃなくて、女の顔した、 お前のこと、もっと教えてくんねぇか」 かあああっと顔が赤くなるのが分かる。 とりあえず、何も考えられなくて 頭をこくこくと前にふった。 するとたどたどしい手つきで抱きしめられた。 どくどくと心臓の音がする。 今まで嗅いだコーヒーと煙草の匂いがする。 耳元で「ちゃんとすれば、可愛らしいじゃねぇか」と褒められた。 知らない知らない! こんなに鼓動が速くなったことなんて 喧嘩だってなかったのに! だって、今日は先生にそう言ってほしくて がんばってきたんだ。 「だいすき」 小さく呟いた。 先生は笑った。 紅白饅頭に肉まんプラスしてやろうとか考えていると、 鼻先をコーヒーと煙草の匂いに混じって 桜の香りがくすぐった。 愛おしい匂いだった。