ただ、それでよかったんだ。 ユミルの爪痕 ふつふつと湧き上がるものが何かはわからなかった。 ただただ、その感触が愛おしい。 そんな気分だった。 指の間からすり抜けていくのは多量の血液。 掌にはもう動くことのない心臓。 先程まで恐怖していた死体という物体の開ききった口に それを入れてやった。 どうしてだろう。 さっきまであんなに綺麗だったのに。 動きを止めたとたん、人は何故こんなに汚いと思ってしまうのだろうか。 髪も、 垢も、 爪も、 削がれれば、何故醜く見えるのだろうか。 赤い塊はぬめった血液を零している。 大きな穴が開いている。 人はこんな醜いもので生きるという行為を維持するのかと思うと 今すぐに自分のを取りだしたくなった。 でもそんなことできない。 だって、俺は戦いの中で死にたいから。 こんな醜い物体にしがみついても 戦って殺されるまで生きていたいのだ。 ああ、ちっぽけだなぁ。 「おい、何やってんだ」 「ん?・・あ、阿伏兎」 「殲滅が完了した。帰るぞ」 「うん」 砂と血に濡れた掌をパンパンと叩いた。 どうもこの戦場は砂漠のようで その点では少しばかりやりにくかった。 「帰ったら焼肉食べたいなぁー」 「アンタ、肉ばっかり食うだろう」 「えー、野菜も食べるって。俺、ガキじゃないからね、阿伏兎」 「へいへい・・」 後ろを少し向けば、生き残った師団の部下が数人ついてきていた。 最初に来た数と同じということは一人も死んでいないということか。 そんなことを考えていたら、足に何かがあたった。 恐怖に震えながら、必死の形相で 小さな少女が俺の足を掴んでいた。 「・・・何?」 殺気を含めた視線で見つめれば、 ぶるりと一つ震え、少女は涙を零した。 「あ・・・あぅ・・・っ・・あ・・」 ショックで言葉が喋れないようだった。 ただ、その握りしめる掌が 『にーちゃん』 記憶がフラッシュバックした瞬間、 少女を思いきり払いのけた。 額に手を当てる。 息が荒い。 「・・・団長?」 何やってるんだ。 捨てたんだろう、何もかも。 今更守るものなんて欲しくないって。 どれだけ、守ったって 母さんだって死んじゃったじゃないか。 思わず口を押さえて、俯いた。 キモチワルイ。 「オイ、団長!大丈夫か、どうした」 「・・・なんでもないよ、大丈夫」 「・・・大丈夫なわけねーだろ」 阿伏兎はどうやら違う方に気づいたらしい。 腹に弾が一発。 早く抜かなきゃヤバいなーとは思ってた。 ふわりと阿伏兎の背中におぶさった。 「すぐに母船に着くから、それまでこれで我慢しろよ」 「うん」 飛んでいったあの子はどうなったのだろう。 あの子が飛んでった方向を見ても砂埃が舞うだけだった。 「ねぇ、阿伏兎」 「あ」 「お前は、守るものがあったのか?」 その言葉に彼は少し考えて、呟いた。 「あったかもしれねぇが、今はアンタを守ってる」 「・・・俺は弱くないよ」 「そういう意味じゃねぇよ、すっとこどっこい」 「・・・そっか」 「ああ、そうだ」 神楽、今、どこにいるのかな あの子はまたあの家で泣いているのだろうか 「・・昔、守ってたものをおもいだしたんだ」 「・・アンタに守るものがあったなんて意外だ」 いつも俺と一緒にご飯を食べて、 おかずも取り合って、よく怒られたっけ。 でもチューペットは二人で分けあった。 お風呂では溺死寸前まで戦ってよく怒られた。 でも仲直りした後は、背中を洗ってくれた。 俺は、知ってたんだ。 守るものがないんじゃない。 ただ母さんと一緒で、 アイツを失うのが怖いから 逃げ出しただけだって 「・・・アイツは」 「団長?」 瞼を閉じれば、あの雨の日の小さな姿が映る。 「それでも、俺のことを『にーちゃん』って呼ぶのかなぁ・・」 守る行為から逃げ出した俺を。 「・・・団長?」 「・・・なんでもないよ。おもいだしただけ」 「・・何を・・?」 「・・プライベートなことだよ、阿伏兎」 「なら、俺のプライベートも守ってほしいもんですね。  毎度毎度、部屋に入っては無断で食い物持ってきやがって」 「ごめんね」 「・・・・・・」 俺が素直に謝ったことがびっくりしたのか 阿伏兎は振り返った。 「今度、チューペット半分あげるよ」 「いらねーよ」 指先が熱を孕んでいるのを感じた。 ほんとうは俺だって 守られたかったのかもしれない その居場所を、探したかったのかもしれない さよなら、俺の綺麗な宝物